喜屋武の海岸崖上の城。久米島の安司一族で14世紀に築城。

戦時中米軍の攻撃対象になり、主要部分が破壊されたという。

この頃は各地の豪族である安司は首里城の近くに集めて管理され、首里王朝の権力の一強集中化が図られた時代。

階段を登ると沖縄の海風が心地良い。

少し藪に入るとハブの危険。久米島の字が見える。

中世期、貿易により、栄えた。

三方を海に囲まれる喜屋武海岸の絶景スポット。


首里王朝、第二尚氏尚円王にとって具志川城は不用で邪魔なだけ。浦添市に城を構える父の安司に命じて攻撃させるが父は逆に取り押さえられる。最期は首里軍に攻められて敢え無く落城。
これは豊臣秀吉時代の諸城破却令に似た現象?


(具志川城と喜屋武城は全く別個で場所も歴史も違う。喜屋武城祉は糸満市喜屋武地区でも山側の丘陵にある。唯一、喜屋武地区にある.あの鬼の大城の元々の出身地がここで、先祖がここの安司。喜屋武城安司二世)