第一尚氏最後の尚徳王が滅んだ島、久高島にいってみました。

久高島はウミヘビの産地


神の島久高島へ

自転車で全速力で一周20分で。本当に小さな島…南ほど砂道で走りにくい。したがって石道の海岸も走る。

大木ガジュマルの木は神秘的

古くから神の島として恐れられてきた。


ふだんはエメラルドブルーのこの海。聖地なので遊泳禁止
おばあちゃんに声を掛けたら「観光客はたくさん来ても誰も私に声をかけてくれない。あなたは本当に運の良い方です。クンチャサ(第一尚氏琉球国王が見初めて入りびたりの恋仲になった巫女である絶世の美女)
の大里家に伝わることを教えてあげるとのこと。おばあちゃんは、絶世の美女、巫女のクンチャサの直系の子孫。
 クンチャサの家大里家を守っているおばあちゃん。すごい方に出会いました。

戦時中、政府から物資不足で寄付を請われたので尚徳王からもらった金のはしと金の延べ棒の一部を寄付したという。
聖徳王については、死んではおらず大里家の手の者が尚徳王を喜界島に小舟で案内し、聖徳王をひいきの篤志家のお世話になり、生涯を閉じたという。

尚徳王はクンチャサため、いったんは首里城に帰りたくさんの金銀財宝を持ち出しており、その喜界島で世話をした篤志家の有力地主とクンチャサに分け与えたと言う。この持ち出したことも金丸派の家臣に伝わり、また喜界島に出兵した兵の労もねぎらっておらず、日ごろの強引な悪政批判も加わり、反感を抱いた金丸派の家臣団のクーデターへと発展した。
クンチャサは時折、喜界島に渡ったと言い、自身は気づかれないよう久高島にとどまったという。

確かに尚徳王の墓は、喜界島にあり、その子孫も存在するという。私もサンゴの島喜界島に行ってみたい。
沖縄本島にある尚徳王の墓はあくまでも王位を乗っ取った金丸改め、尚円王が尚徳王が死んだことにした方が琉球を統治しやすいと考えたものだと思います。

巫女で美人のクンチャサの生家大里家。久高島で一番古い家で上のクンチャサの大里家直系のこのおばあちゃんが手入れをしているという。

心残りと言えばこのウミヘビ料理を時間の関係で食べれなかったということです。


フボー御嶽は沖縄一番最高の聖地で琉球王朝発祥の地とされるが尚徳王は二千人の兵を引き連れて喜界島に遠征し勝利、兵を首里城に返したばかりか自らはこの地に引き返してとどまり、絶世の美女で巫女のクンチャサと長期間恋に熱中しているうちに、これ幸いとクーデターが起こり首里城王位を金丸に乗っ取られた。

尚徳王の妻、子供は殺害され城の外に放り投げられ尚徳王は帰りの船で自殺を図ったというのが伝承だが上のおばあちゃんは自殺説を否定する。
ハッキリ言わなかったが、喜界島に逃れたのが真相らしい。あなたには本当のことを言うけど尚徳王は帰りの船で死んではおらず、皮肉にも制服した喜界島にわたり、生涯すごしたそうです。(ただし喜界島役場でも那覇市役所でも伝承も記録もないとのこと)おばあちゃんいわく、それはそうでしょ。尚徳王は2000人の兵を引き連れて勝利したのだから皮肉にもその身分を明かすことは出来ず。平民として身分を隠し、頼りがいのある有力者のお世話になり、幸せな生涯を閉じたという。観光客は誰も見向きもしないが言葉をかけてくれたあなたは本当に運が良いと言い、今度来たらその尚徳の喜界島の住居跡地とか墓所について大里家にしかわからない言い伝えのことを教えてあげるとのこと。確かに暗中模索のまま喜界島に行くより、良いかも。
金丸は尚徳王が喜界島に遠征している間に大里家を何度となく訪れており尚徳王が帰る途中で久高島に立ち寄り、戦勝祝いでノロであるクンチャサに会えるようにルートを画策していたのかもしれないとのこと。

 久高島は神の島とされ、首里城発祥の地とされるが聖徳王が美人の巫女クンチャサに惚れ込み恋にのめり込んでいるうちに首里城は聖徳王が留守の間に金丸シンパの家臣のクーデターにより、金丸改め、尚円王に乗っ取られた。
すなわち、第一尚氏王統、七人続いた尚徳王にとっては最後の王として滅亡のきっかけの地となった。四ニ〇年続いた百姓金丸改め第二尚氏尚円王にとっては、縁起の良い都合の良い地だったかも?

直系のおばあちゃんが言うにはこれ以後クンチャサ大里家には「美人が生まれると不幸になるので言葉は悪いが今風の言葉ではブスに生まれて来るように巫女の本家に祈り続けてともらったので私もブスなんです」とのこと。
何てそんなご謙遜を。

※「百姓金丸から琉球国王へ」もしくは「金丸と尚徳王」をグーグルで検索いただければ久高島の伝説のストーリーをご理解いただけるのかもしれません。
是非、ご検索を