那覇空港への着陸体制に入って低空飛行になった時、美しい喜屋武岬広場の風景が目に飛び込む。
飛行機の窓から
沖縄戦跡国定公園・喜屋武(きゃん)岬、喜屋武崎灯台の景色がハッキリ見える?


沖縄戦で米軍に追い詰められた島民はここから次々と身を投じたという。

沖縄最先端の岬と言われるが、本当の最南端は右端の荒崎海岸。喜屋武岬を境にして東シナ海と太平洋に分かれる。
正確には荒崎岬から海流で二つに分かれる。


喜屋武岬広場。バス停から30分も歩くのでレンタカーがおすすめ。それにしてもすれ違い無理の細い道。

 沖縄戦で米軍は、島民を南に向けて追い詰め、行き場を失ったたくさんの島民はこの平和の塔近くの岬から身を投げたという。

韓国、昔の百済が滅亡した時、唐、新羅連合軍により攻撃されたとき扶蘇山、落花岩より宮廷に仕える三千人の女官が辱めを受けまいと白馬江に向けて美しいチョゴリをまとった宮女が花が舞うように落ちていった落花岩と喜屋武岬のストーリーがよく似ている?
この時、倭軍(日本)が百済の救援に向かったが時既に遅しだったといわれている。

平和の塔の御霊はなんと一万柱(沖縄全体死者十万人)とのこと。凄まじいばかりの人が命を落としたのは事実。

非残な歴史があることを知らずに来ました。平和の塔に心から合掌。

今は、自殺の名所で心霊スポットにもなっている。いろんな噂が広がり心霊スポットの怪奇現象を求めて夜行く人もいるという。
断崖絶壁。落ちたらサヨウナラ。
沖縄戦で米軍に追い詰められて飛び降り多くの島民が命を失ったという。
荒崎海岸まで歩いていきましたが車はだいぶ前でストップ。海岸までは藪が覆い被さってしんどい。もっと大変はハブ対策。

喜屋武崎灯台。戦後、荒崎海岸にも米軍が荒崎灯台を立てたというが見当たらない。光力が弱く、船から見えづらく不評だったという。
喜屋武崎灯台はその後政府で建て変えたが光力も高く船の方からもはっきり見え、沖行く船の航行の安全を見守っている。

この地域にほどなく近い北側に具志川城址がある。
どこへいってもこの辺はハブがたくさんいるのだという。噛みつかれないように要注意とのこと。

 首里城の地下に日本軍の沖縄司令本部を作り、長期戦に備えて米軍を沖縄にできるだけ長くとどめて本土の被害を最小限に食い止めるのが日本軍本部の最大の意向だったといわれる。逆に沖縄が悲惨過ぎる結果を招いたのも周知の事実。しかも戦争の発端は日本軍のハワイへの一方的な奇襲攻撃。それでなぜ沖縄が?