伊是名島へは本島北部の運天港から1時間。フェリーは思ったより大型でスマート。金丸のイラストが描かれてあるのが特徴。


金丸の屋敷跡は集落の道路の海寄りの外れにあり、そんなに広くない。ざっと見、60坪前後位。

逆田伝説は有名。金丸の田んぼは島が干ばつにあったときでも豊かな水をたたえていたので水泥棒の嫌疑がかけられたという。


冬でも水が。最も上に泉を確認達

そして島の娘達にもてて人気を独り占めにし、若い奥様とか恋人のいる娘さんと次々と噂があったといい、手を出したのが致命的。嫉妬し、ねたんだ村の若者が金丸を殺そうとある家に農機具等、身近で使える武器を持ち込み、一同結集し気勢を挙げた。

そのことを嫁いでいた姉が察知し金丸に知らせると妻と弟がありったけのものを運び出し、ねんごろだった女と姉が協力し、裏山に避難した後、妻と弟を連れて月夜の明かりを頼りに山越えし、叔父の銘苅家のある浜の小舟で伊是名島から本島目指して命からがら脱出した。その時金丸は24歳だったという。金丸は本島北部、国頭村宜名真に流れ着いた。

伊題名島の百姓から身を起こした第二尚氏の始祖金丸改め尚円王。後に徳川時代よりはるかに長い410年間続いた。

金丸は色白美男子。村八分的になる身なので、元々は島の人間ではなくて、源氏(頼朝,義経?)の末裔の(舜天王統)子孫の三代目、義元王の子が金丸の何代か前の先祖であるとの伝説がある。三代目義元王は王として君臨したが飢饉が重なったり地元民の反発にあって不幸にして亡くなり滅んだが赤ちゃんを誰も育てられず不憫に思った本島の人はその子をタライに乗せて流したら伊是名島に流れ着いたという。伊是名の有力者が引き取り育てて成人させ、山の半端な田を与えて分家させたという伝承。その三代目くらいが金丸とのこと。地元では有名な伝説。


夏は学校田になっており、青々としているという。本当はその青い田が見たかった。伊是名島の米はおいしいと評判

下の田は水田に適さないため、今では、サトウキビ畑になっている。

良田はここのマスでおしまい。
伊是名島の颯爽とした金丸の船出。実は命からがら逃げたもの。

金丸は本島北部、国頭村宜名真の地に流れ着いた。
流れ着いた国頭村宜名真から国頭村奥間の地に移り住んだ頃でした。
正直申し上げてここでも同じように娘さん達にもてすぎた。ここでも国頭村奥間の若者の反感を買った。奥間鍛冶屋は金丸を襲う武器(刀)を作ってくれと頼まれたことを金丸に伝えた。刀を持って奥間の若者が結集した時に、奥間鍛冶屋の手引きによって助けられた。

金丸が尚円王になってからこの国頭村奥間鍛冶屋を手厚く保護、支援したという。ここは国頭村奥間。あなたの才能才覚、器量を生かすためには島北部の外れなので奥間から首里の王族が住む内間に行きなさいと奥間鍛冶屋がアドバイス。すなわち内間とは第一尚氏の王様にはなれなかった親戚の有力貴族が住む町とのこと。現在の浦添市。

◎金丸が3年の間、点々としているうちに内間にたどり着き、国王の弟であった越来王子尚泰久の目に留まりその推挙により、首里城の役人に取り立てられた。その絶大な信頼もあり越来王子尚泰久が兄の尚金福王に強力に推薦、後押しすることによって、金丸はメキメキと頭角を現し、実力をつけて出世していった。越来王子に気にいられたのは私の勝手な感覚、ひとりよがりな視点ですが越来王子を含め第一尚氏の始祖、国王 尚巴志王の祖父、鮫川大主が伊是名城を築いていたところから伊是名島から来た金丸をとりわけ、ひいき目にしたものではないかと思っております。

越来王子尚泰久の兄である第一尚氏王朝の王様が亡くなったので尚泰久が首里城に呼び戻されて国王に即位した。尚泰久王の誕生、これにより、金丸は尚泰久王の右腕となり、王府外交の責任者、那覇の監督官、人事権という絶大な権力を与えられ、右に並ぶものがいないほどの力を誇示した。(首里城の事実上の実権掌握、これが尚泰久王が亡くなった後、やがて金丸が裏切りのクーデターを起こし、王様になれた最大の要因、原動力になったのものと私的に考えております。ちなみに尚泰久王と言えば単なる知識、学者肌だったといわれ、後継ぎ問題、人事権等、政治の要の根幹は御物城御鎖之城に任命された金丸にあった。人事権もあり金丸に恩義を感じ、忠誠を誓う家臣も異常にふえていったという。

ここで世子の尚徳王、その有力部下との駆け引き、画策があったが省略します。結果的には世子の尚徳王が久高島の絶世の美女、巫女のクンチャサと長期間恋にふけり、王不在の首里城では王を凌ぐ勢いのあった金丸の息のかかった家臣軍団により、王の子供、その家族が殺害され、城の塀から放り投げられたという。久高島の尚徳王にとっては結果が出るに至り、帰りの船で自殺したというのが通説である。なぜか内間に隠居していた金丸は家臣団のお願いと説得をしぶしぶと受け入れて第二尚氏王統の始祖となる琉球国王の座についた。(これも金丸が仕組んだことを否めない)第二尚氏王統時代の始まりである。

第二尚氏王統時代に入ると第二尚氏始祖金丸のように国王以上に突出した実力を持った権力者が現れることのないように、全て重要な案件は、第二尚氏王統時代やがて数代後の時を得て三人の主なる家臣による合議制となりました。

現在の国頭村道の駅
国頭(くにがみ)村には、飛べない鳥、ヤンバルが生息している。山間の村で自然が多い。本島の最北部。そこに大石林山がある。那覇市からレンタカーで約3時間半前後。


島の乙女の心を謳っている。北の松金とは金丸のこと。村の乙女たちは金丸のことを想うだけでも恋心が熱く燃え上がるという意味なんだそうです。有名な石碑。当時の歴史的伝承ではあからさまな表現は避けたいが金丸を慕う遊女的存在の勢理客の女)もいたとか?  勢理客せりきゃくと読みません。沖縄の呼び方ではなんと、じっちゃくと読みます。歴史的には金丸が本命視したのがこの勢理客の女性だったのではないでしょうか。通水公園に行くとじっちゃくの女に会い、後ろ髪を惹かれるような姿で馬にまたがり帰る姿の金丸の銅像が建立されている。


北の松金すなわち金丸が島の娘さんたちに愛されていたかということを解説した石碑。字が判読できない状態なので修復したら?の問いに村では「金がない」とそっけない。それもそのはず、伊是名村は沖縄県でも数少ない国の財政健全化団体に陥っているという。
琉球国王第二尚氏の祖となった金丸は命からがら逃げたという苦い経験から二度と伊是名島の地を踏むことはなかった。ただし、尚円王になってからは琉球王の叔父の銘苅家は地頭職として、姉の嫁いだ家も重要な役職そして神職が与えられ手厚く保護された。

最後、レンタカーは返しましたが、帰りの船の上でカギを返してないことに気がついて船員さんに相談したところ、笑いながらレンタカー屋さんとは船員は皆友達でこの船は引き返すから渡してあげるとのこと。

予約済み: 2024年3月5日 那覇市・クラブ舜(しゅん)ルポ