令和3年2月4日午後4時、(由比ガ浜で流された男の子)義経・静御前の子の直系の子孫の方と言われていう方と、直接電話でお話することができました。

岩手県内で以前、有名な歴史学者が御前の子孫を探し当て、テレビ岩手、岩手日報、テレビ・新聞等でそのことが報道されたことがあったそうです。

佐々木四郎高綱の子、佐々木四郎太郎義高として茂市地区で大事に育てられ、閉伊郡の豪族の根拠地、田鎖城主になった佐々木四郎太郎義高(義経と佐々木高綱の1字)の直系の子孫の方と言われている方が現在、宮古市茂市地区に居住しておられることが判りました。(事態は急展開?)

宮古市の田鎖城のあっの田鎖地区から茂市地区までは閉伊川を挟んで車で約10分位のところ。高速道を一部使うともっと早い。

屋号は『敬礼』 地域の皆さんから昔から先祖代々、敬われてきたような威厳と存在感のある屋号?

電話で「是非、お会いしていただけないでしょうか」とお願いをしたところ、「どうぞ」と気持ちよくご承諾をいただくことができました。