廃藩置県による北海道現在の伊達市移住は実質的には伊達本家ではなく亘里伊達家、登別市には、重臣白川藩片倉氏等の移住でした。

伊達藩は大幅に厳封され南部藩に支配、使われて百姓となるのを嫌い、政府に働きかけ、北海道有珠郡の開墾を願い出て移住した。
政府も蝦夷地の開拓を急いでいたため両者の考えは合致した。

その昔、家康の関ヶ原時代、徳川に敵対する真田信繁の娘お梅が伊達藩片倉小十郎家に嫁ぎ、史実かどうかは不明ですが、御家取り潰しを巡り徳川方と片倉家のスパイ合戦でのストーリーの想定がこの劇の思(おぼ)しきものです。
いずれにしても片倉家は安泰でした。