正月、沖縄タイムズ、朝日新聞沖縄版ではあたかも百年前の首里城写真を大発見としてスクープ報道していた。
こちらはかつて、旧仲宗根家別邸の百年前の首里城写真をピクチャー化して保存していたもの。老朽化し一時、百年前取り壊しの話が出たが有力者により、ストップ。

廃藩置県により、首里城の王様は追放され東京の一等地に広大な敷地と建物を政府から与えられ、華族となり、その後一時、江東区で運送業を営んでいた。他の兄弟一族は、沖縄県として定着すると帰国を許され、沖縄県民としてその系統を保っている。
 これが本当の百年前のかつての首里城。


 百年前の首里城南殿。教室等に使われていた。 この頃は首里区立女子工芸学校として校舎に利用される。校庭に見えるのは鉄棒?
あまり知れ渡っていないが、首里城地下に2キロメートル弱の第32軍司令壕があった。

 また、1980年頃前までは、首里大学のキャンパスにもなっていた。

今のように赤く(朱色)そして華麗になったのは、戦争で消失し、建造された後の昭和の時代以降からだという。正確には平成の時代なのだそうです。したがって王様が住んだ建物でないとのこと。

首里城は焼けて復元する度にどんどん豪華絢爛、カラフルになっていく。
 今度、建てられる首里城はもっともっと華美になり、かけはなれていく。どんだけ~?

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