佐賀藩主鍋島直茂は35万7千石と言われる。
佐賀藩城主は鍋島直茂。鍋島藩とも呼ぶ。
そして時の将軍、徳川秀忠が竜造寺孝房に「佐賀藩の城主は本当に竜造寺氏でなくて鍋島氏でよいのか」と問いただしたところ「鍋島氏でよい」とハッキリ答えたという。
藩主鍋島直茂は不治の病で苦しんで亡くなったという。
※化け猫騒動は城で実際にあったお話ではない?佐賀城下での判官びいきの町民が人気の龍造寺家を偲んで「化け猫騒動で鍋島氏を懲らしめてやれ」と口々に噂してにいるうちに地元の世論となり、噂が噂を呼び「鍋島藩の化け猫騒動」として江戸の歌舞伎界でとりあげられ大人気になってしまった。歌舞伎界の内容が逆に城でそういう事実があったかもしれないと、世の人が思い込んだのかもしれない。実際、鍋島藩が歌舞伎界に抗議したそうですが無視され連日大入り満員御礼だったとのこと。
事の発端は、城主鍋島氏が龍造寺家直系の家臣を呼び出し囲碁を打っているうちに「殿は待つことは苦手の様子ですが城を取るのは得意のようですね」と言ったため怒りに触れその場で手討ちにされたという。(口は災いの元)それからというもの飼っていた猫が夜な夜な女性に化けて出たという。
幕末において最も産業革命が進んだのは佐賀藩で、島津藩主、島津斉彬も感心するほど。
アームストロング砲