藤崎町に伝わる、唐糸御前の伝説。鎌倉時代、執権・北条時頼の愛妾だった唐糸御前は、諸国行脚で立ち寄った夫に、やつれはてた姿を見られることを嘆き、自殺を図った。その場所が唐糸御前公園となる。当時、大きな湖沼地で入水自殺といわれている。その沼はもうない。
栄華を極めた鎌倉から小船で本州最果ての地外ヶ浜へ流され捨てられた身 ロマン伝説に聞こえるがあまりにも寂しくて悲しい。
縁
通りかかった時頼公は、村人から唐糸御前のことを聞き、ねんごろに屍と菩提を弔い、鎌倉への帰路に寺を建立しました。青森県南部町法光寺もそうなんです。
国登録有形文化財 法光寺 唐糸御前を訪ねた北条時頼が建てた寺
法光寺に伝わる北条時頼の廻国伝説
今から約700余年前、鎌倉執権・北条時頼公がこの地方を訪れた際、夢想軒(むそうけん)の庵主であった玉峰捐城和尚(ぎょくほうえんじょうおしょう)に一晩の宿と心からのおもてなしを受けたお礼に開基したと伝わる名久井岳の名刹です。曹洞宗奥羽三大本山の一つで、開基は北条時頼、開山は玉峰捐城和尚との記録が残されています。
中世段階では南部氏と親交をもち、戦国期には東三郎義政の菩提所として寺領150石を安堵されたといわれます。江戸時代には八戸藩領曹洞宗25か寺を統轄する総録として法光寺が信仰の拠点となりました。国登録有形文化財法光寺の開基に北条時頼の廻国伝説に唐糸御前(からいとごぜん)ロマン伝説が深くかかわっているとは意外でした。唐糸御前伝説も信憑性が増してくる
実は私、法光寺が大好きで名川のサクランボ狩りを終えてよく立ち寄ります。荘厳な五重塔と寺院、庭園が見事です。南部殿様のお姫様の綺麗で大きな駕籠も展示保管してあります。
本堂で座禅するとでなぜか心から落ち着きます。
北条時頼公が建立したのだから唐糸御前を祀ってあげればよかったのに。