源義経と将軍と闇将軍と言われるほどの力があったにも拘わらず自らの子二代将軍源頼家、三代将軍源実朝(兄を裏切り失脚したというが)なぜわが子を守り切ることができなかったのか、自らの出どこ北条氏に実権が移譲されたのか正直、私的には大きな疑問を抱くところである。

佐々木四郎義高からなぜ茂市姓になったか個人的には強い疑問をいだきましたが短時間でしたので余裕は全くありませんでした。また源義経の北方伝説が各地にあります。静御前が滞在して建てられた800年守りつづられてきたという鈴ケ神社が車で10分くらいの所にあります。またここから5分程度で義経を祀る箱石神社があります。
助けられた義経の男の子とされる宮古市田鎖城主佐々木四郎義高の子孫の方(末裔)とされる茂市敏之氏。宮古市議七期。議長を歴任。初対面ながら歓迎していただき、ありがとうございました。

娘さんが着物を着たら静御前風になっちゃう?

源義経からの家系図をみせていただきました。
私としては義経の子、佐々木四郎義高がなぜ、どのようなことで茂市姓になったのか最大の疑問でした。

源義経からの系譜「家系図」を拝見。(続く)

茂市地区から宮古地区に車で15分くらいの市街地に青森県黒石城主千徳氏の出身地である本家一戸千徳氏の千徳城がある。千徳地区は市街地を形成しながら文教地区として発展している。