(会津若松市は白虎隊で有名)

(会津坂下町は堀部安兵衛・生誕の地)
[南会津ばんげ町で高田の馬場の決闘、忠臣蔵の討ち入りで有名な堀部安兵衛はばんげ町貴徳寺に生まれる。父は元々新潟の新発田藩士で跡継ぎの侍だったが芸者の小菊と恋仲になり、父から勘当され、中山家に仕えていた下男の紹介でその下男の出身地であるばんげ町にある貴徳寺の八畳間に移り住む。そこで堀部安兵衛が誕生。母小菊は安兵衛(幼少時名は中山安之助)が4歳の時に病死。父も病弱なため薬屋さんに足繁く通い父の面倒をよくみる利口な子だったという]


しおりの湯ばんげ温泉にて・貴徳寺めがけて近道の山越えをしたところしおりの湯温泉で湯浴みと食事をしようと立ち寄るとなんとモデルさんによる撮影会が開かれておりました。


モデルさんは福島県の「極上の会津」のポスターにも採用されている。



(会津坂下町は堀部安兵衛・生誕の地)
[安之助4歳の時、父の薬を買いに行く途中、町人が腹痛で寝転んで苦しんでおりました。年老いた立派なお侍さんが腰の印籠から薬を与えると
すぐに回復し、元気になりました。それを見ていた安之助は薬入りの印籠をつかみ取り、父の元へと一目散に駆け出したが4歳の安兵衛(幼少時安之助)はお侍さんに取り押さえられました。
お侍さんの問いに「病に苦しんでいる父親に是非飲ませたいのです」
お侍さんは「人の物を盗んだのだらから許されない行為だが親孝行の心に免じて許し、薬はお前に上げよう」と申された。
ところでお前の名と父親の名前は?
父の名は「中山安太郎」
父親の名前を聞いてお侍さんはビックリ仰天。大変驚きました] 続く