唐糸御前は絶世の美人といわれた。かつて御前は鎌倉の執権北条時頼氏に仕えていた。その北条氏が御前恋しさに藤崎を訪ねたという。
北条氏が身の回りの数人の女性の付け人の内、美人の唐糸御前を寵愛したため、正室等周囲の愛妾にねたまれ、家来の清藤氏を付け人とし、いとまをとらせられ、十三湊を経由して生まれ故郷の藤崎に戻っていたという。


その北条氏が御前恋しさに藤崎を訪ねることになったという。そのことを知った唐糸御前は、遠く北条時頼を見たという。(伝説)今は使われづくめの身、貧相の上、やつれて年老いた惨めな今の自分を見られたくないとして沼に身を投げて自殺したという。
その沼は現在、ないという。清藤氏は鎌倉にも帰らず尾上に住んだという。

唐糸御前公園は、藤崎町から五所川原市へ向かう道路を右側に右折したところにある。
 唐糸御前を通して津軽と北条鎌倉幕府のつながりが伺える。ちなみに藤崎は阿部氏を通して鎌倉幕府の直轄領だったとも言われている。
板柳町にはあくまでも確固たる資料は少なく、唐糸御前伝説でしかないと言われるが、驚く事なかれ、帰路に建立したという他県の実相寺等にそれを裏づける言い伝え(看板)が残っているという。