見回り検地奉行北(南部)重左エ門盛岡南部藩の命により国境の藩境を決めるため、鹿角白根に宿泊した。白根の百姓達が歓迎の贈り物を持って奉行所に面会に来たという。

 その中の70歳くらいの老婦が涙を流して言うには、「息子夫婦が亡くなり2人の子が孤児になり私が育てたが、夫が亡くなったので田畑を伯父に託したが欲張りで、返却期間が過ぎても返してくれない。私が元気なうちに

一刻も早く伯父から土地を、取り返し、2人の兄弟に分け与えたいと訴えた。

「先祖がかつて、この地の豪族で長牛城の戦いで殿様から戦功により授かったものです」と説明。

「それは不憫なことだったろう。今日はゆっくり家に帰るが良かろう。明日、伯父を呼んで真偽のほどを確かめよう」

 その結果、相続者の老婦に対しての土地安堵の証文を伯父が持っていることが判った。そして伯父は奉行に老婦の言う通り土地を横取りしたことを素直に白状した。

南部重左エ門の裁きにより、この二人の兄弟に横取りした土地全てを返すように命じた。


 そこで老婦は喜び、お礼に1.2m程の土のついた何本かの土の長芋をかますに入れて奉行所に持って行った。ところが長芋の土がキラキラ光って美しい。始め、銅かと思ったらしいが洗い流したらどうも砂金らしい。

老婦に数両を差し出し、その畑を案内させた。内密にするため、二人の兄弟、老婦に手伝ってもらい、畑の土を器に入れ水を入れて撹拌し、泥を流したところ、大量の砂金を採取したという。

※すなわち判りやすく言うと金山の金鉱脈が帯状になっており、地球上に露出したところが長芋畑であり堀り進むと西道金山につながるということ。

ところが、白根の住民が今度の代官様は面倒見がとても良いお方で長芋がお好きらしいとして、土の付いたまま南部重左エ門の陣屋に持ち込んだ。

 このことを盛岡南部藩主の南部利直公に報告した。自らも願い出たが鹿角白根の地にとどまり、金山奉行になることを命じたという。

可愛い子供十蔵を不便な鹿角白根の地に連れてこられない。盛岡に残し妻を鹿角白根に呼び寄せる。十蔵は南部利直公の小姓となる。