きわめて急峻な坂には見えるがこんな登りはやさしい

静御前が到底この坂を登ったわけではなく祀られたものだが、ロープまである。

鈴ケ神社。
中には幻の掛け軸が。

下に民家が見える。このあたりに金売り吉次が静御前のため、小さな屋敷を建て「私は忙しい身なので御前を守ってください」と村人にお願いし、鈴久名を立ち去った。

※この金売り吉次の出身(出自)父は青森市鶴ヶ坂の出であるという伝説 奥州藤原家の第3代当主藤原秀衝の弟、藤原秀栄は十三湊の福島城主となる。安倍貞任の子藤崎安倍高星丸と戦かった藤原秀栄の3代目福島城主、藤原(十三氏を名乗る)秀直は萩野台の戦い(弘前市津賀野・花咲温泉辺り)安倍氏に曽我氏の軍勢が背後に加わったためあっさり敗れた。福島城主、藤原(十三氏を名乗る)秀直の子、藤太公は乳母とともに城から脱し鶴ヶ坂(旧戸建沢)に身を隠した。

やがて福島城の安倍氏の勢力の台頭で、鶴ヶ坂にも追ってが来る危険を感じ、炭焼き藤太公は、奥州藤原家の傍系を頼り、宮城県金成町に人知れず移り住んだという。

その後、炭焼き藤太の子が先祖のルーツ奥州平泉の藤原氏を頼りに藤原家への出入りを許され、歴史上の人物である金売吉(橘)次となったという

※(金売吉次の伝説を探るを参照・引用)

下山したら、鈴ヶ神社橋本別当さんが入口に駆けつけてくれて、橋本家に伝わる古文書を見せていただきました。写真不可とのこと。橋本別当さんには来てくれて、ありがとうございました。


※炭焼き藤太公の鶴ヶ坂伝説は、鶴ヶ坂たらポッキ温泉の温泉浴場の青森銀行の掲示版に書かれてあります。入浴の機会に是非、ご覧ください。 父、炭焼き藤太から子の金売り吉次へ

ちなみにこの藤原氏と安倍氏は、もともと先祖は同族で〉盛岡前九年の役の安倍貞任の弟、安倍宗任は安倍首相とルーツを同じくする。安倍貞任の弟(安倍首相の先祖安倍宗任)が源八幡太郎義家(甘利明氏の先祖)に命乞いして助けられ(盛岡)前九年の役後、伊予に流された後、奥州に帰るという復活の兆しが見えたため、再び大宰府に流され、やがて源義家の推挙により松浦で領地を与えられ、松浦党水軍となり活躍し、後に九州の平戸藩主となる。(安倍首相は41代目)  ※詳しくは松浦一族・安倍晋三で検索を

源義家の直系の子孫が甘利地方を治めた豪族、安倍首相の盟友、元経済産業大臣甘利明氏である。(細川護熙氏も源義家の直系〉源義家もすごい人物。
次はここから私の足で10分。義経が滞在したという箱石神社に、何はともあれ行ってみよう。

  ※ (義経と秀衝を結んだ吉次)で検索を   なぜ、炭焼き藤太の子金売り吉次が藤原秀衝に仕官できたのか、その背景を探る。