(橋本家は別当300年・その前の別当も橋本伝次郎姓で300年合計600年)

きわめて急峻な坂には見えるがこんな登りはやさしい

静御前が到底この坂を登ったわけではなく祀られたものだが、ロープまである。

※この金売り吉次の出身(出自)父は青森市鶴ヶ坂の出であるという伝説(青森市たらポッキ温泉掲示) 奥州藤原家の第3代当主藤原秀衝の弟、藤原秀栄は十三湊の福島城主となる。安倍貞任の子藤崎安倍高星丸と戦かった藤原秀栄の3代目福島城主、藤原(十三氏を名乗る)秀直は萩野台の戦い(弘前市津賀野・現在地、花咲温泉辺り)安倍氏に曽我氏の軍勢が加勢に入り背後に加わったためあっさり敗れた。福島城主、藤原(十三氏を名乗る)秀直の子、藤太公は乳母とともに城から脱し現在の青森市鶴ヶ坂(旧戸建沢)に身を隠した。

やがて福島城の安倍氏の勢力の台頭で、鶴ヶ坂にも追ってが来る危険を感じ、炭焼き藤太公は、奥州藤原家の傍系を頼り、宮城県金成町に人知れず移り住んだという。

その後、炭焼き藤太の子が先祖のルーツをたどり、奥州平泉の藤原氏への出入りを許され、歴史上の人物である金売吉(橘)次となったという伝説。

※(金売吉次の伝説を探るを参照・引用)

下山したら、鈴ヶ神社橋本別当さんが入口に駆けつけてくれて、神社の中を開け静御前に関連する古文書、橋本家に伝わる文書等を見せていただきました。(御前の生活、住まいの地図等)
写真撮影不可とのこと。橋本別当さんにはお世話になりました。


※炭焼き藤太公の鶴ヶ坂伝説は、鶴ヶ坂たらポッキ温泉の温泉浴場の青森銀行の掲示版に書かれてあります。入浴の際に是非、ご一読を。 
 鈴久名に戻りますが、ここから私の足で15分。義経が滞在したという箱石神社があります。(私が箱石神社に行くと入り口のご近所さんが「娘さんは嫁ぎ、おばあちゃんは高齢で一人で住み、跡取りはいない」とのことでした。

  (義経と秀衝を結んだ吉次)で検索を なぜ、炭焼き藤太の子金売り吉次が藤原秀衝に仕官できたのでしょうか?これも諸説あり、伝説の域を出ないとは思いますが。

   ※ 伝説は伝説として源義経と静御前の由比ガ浜で流された子、佐々木四郎義高の直系の子孫の方に、歴史の証しとして是非、お会いできないものかと思いました。私なりに箱石神社、鈴ケ神社、田鎖神社の宮司さん等の聞き取り、そして歴史書を見ました調べてみました。最近になってテレビ岩手、新聞等でも取り上げられたそうです。