(由利本庄市の仕事を終えて)
※金山町産業課(銀すなわち金物が採れたところからの金山町説が有力とのこと)
羽州街道の交通の要衝にあり、津軽の殿様も参勤交代で泊まった宿場町でその面影が残る。
谷口銀山跡はこのすぐ近くにある。義経を最上川経由で平泉へと案内した金売り吉次が発見したという。当初は、最上氏が支配していたが、後に、お家騒動で幕府に知られ、この地を取り潰された。
江戸時代、銀は支藩の戸沢藩で掘起こされて毎日、7頭の馬に32貫(120㎏)の産銀が戸沢氏の新庄藩に送られ3000軒の銀堀小屋、70余軒の遊女小屋があったという。
(食べログ3.05)
銀山鉱跡が残っているのは日本でも稀(まれ)ということです。入って見たかったのですが、(案内人に要予約)あっという間に時が過ぎるので秋田自動車高速道へ急ぐ。