西郷頼母邸はこんな山(丘)ではなく鶴ヶ城の近くに屋敷跡がありました。観光用に移築?
ポスターから
西郷頼母邸は場所も便利で相当にデカいものだった。保科正之に始まる会津松平家の家老職。
家老職 西郷頼母の養子となった西郷四郎。
姿三四郎のモデル役とされ、西郷家の後継ぎとなる。後に新聞記者となり中国にわたり、孫文とも親交があったという。
西郷頼母は日光東照宮の神官となるが晩年は鶴ヶ城近くの長屋で没する。
西郷頼母邸
会津藩・家老職 西郷頼母
幕末維新期に家老
藩主松平容保の京都守護職就任に強く反対し、家老職を解かれた。戊辰戦争中に復職
新政府軍が来る前に一族21人が自決しており、新政府軍の兵士が立っているはずがない。あくまでも妻西郷八重子の采配で自決したとされる。
敗れた場合にも家老職である西郷頼母の名誉を守るため籠城ではなく新政府軍が来る前に一族21人が自決した。
自刃の間 部屋の中にいると心なしかヒヤーッとする。
白虎隊
※会津藩は青森県下北地方を中心とする斗南藩三万石を与えられるが廃藩置県後バラバラとなる。